onlyone デザイナーズプランホーム > オンリーワン作文大賞
私共、二上家では〈only oneデザイナーズプラン〉というデザイン墓石を御提供しております。
お客様の個性(パーソナリティ)、アイディアを投影したデザインによって、言葉を超えたコミュ
ニケーションを墓石で表現しています。そのオンリーワンのコンセプトを広く知って頂くために、
2005年7月から9月にわたって「オンリーワン作文大賞」という家族への感謝の気持ちを込め
た作文を募集しました。
多くの応募の中から24点を厳選し、ラジオ文化放送『くにまるワイドごぜんさま〜』内で放送、
作文が声によって表現されました。
更に、その中から大賞1点・優秀賞3点を選ばせて頂き、二上家のモニュメントディレクター
がその作文をもとにメモリアルモニュメントという形として表現しました。
文字から声へ、そしてカタチに。
それぞれの愛にあふれた感謝の気持ちがこの作品たちに込められています。
浜 勝江 様
誰よりも気丈で責任感が強く、曲がったことが一番嫌いだった父が突然、全てのやる気(やる気
だけでなく、生きる力さえ)を失くしたのは、今から三年前のことだった。
家族の私たちにも、何が何だか分らず、父への接し方に困っていた。時には大声でどなり、かと
思うと何時間もぼんやりとしている。
今までの父とは、全く違う姿にいつしか、“あたりさわらず”という行動を家族がとり始めた矢先の
ことだった。
「じいちゃん、キャッチボールしよう!」
当時、小学校六年生だった息子が、父を近くの公園へとさそった。
家族のみんなは、その行動に息をのんだ。
『なんてことを!又、不機嫌になるぞ』
皆がそう思っていた。
けれど、息子は全く普段と変わる様子もなく、しつこくさそった。
父は驚くことに、重い腰を上げグローブをひとつ受け取った。
私達は、すぐさま後を追った。
そこには、ベンチに座る父と、何かを話している息子がいた。
「じいちゃん、俺は、次の試合が少年野球での最後の試合や!じいちゃんに三歳で野球のグロー
ブを買ってもらってから九年目や。だから、じいちゃんの為にノーヒットノーランを達成する。俺、
一生懸命がんばるから、じいちゃんもふんばれ」
その言葉を聞くと、父はゆっくり腰を上げた。
試合は夢破れた結果に終った。けれど、父は息子の背中をポンとたたき
「まだまだやな。一からじいちゃんとやり直しや!」
誰もがほぐせなかった父の心をたった十二歳の息子はキャッチできた。
二人は最高のバッテリーになった。
文化放送(平成17年12月9日放送)
栄 直美 様
子供の頃、参観日が嫌いだった。他のお母さんより一回り以上年をとっている母がはずかしかった
から。本当は大好きだったのに、友人の前では、わざとじゃけんにしたりした。
でも、年をとっていた母だからこそ、いろんな事を知っていた。他のお母さんたちは天草からトコ
ロテンを作る事を知らない、おいしいあんこの作り方も・・・。
今、私が母になり、母と同じ事をしている自分に気付く。
「これが天草と言ってね、煮て固めるとおいしいトコロテンになるよ。」
「この豆をやわらかく煮るとあんこになるんだよ。」
子供たちは目を輝かせてわたしの手元を見ている。
「お母さんって魔法使いみたいに何でも作るね。」
そう言う子供たちに、私は答える。
「全部、おばあちゃんに教わった魔法だよ」
もうすぐ80歳になる母。まだまだ教えてもらっていない事は山のようにある。いつまでも元気に私
たちに魔法をかけつづけてほしいと願っている。
文化放送(平成18年3月3日放送)
長坂 隆雄 様
故郷を離れて五十年、母の日と正月だけは毎年帰郷する事にしていた。帰りには母は必ず私の
子供の頃からの好物である巻寿司を作ってくれた。
幾つになっても子供は子供、母にとってささやかな喜びでもあったようである。
母が、八十五歳過ぎた頃からであろうか、巻寿司の堅さが気になるようになった。
今までは堅く巻かれていた寿司が年毎に柔らかく、粗くなってきたと感じるようになった。手にし
た寿司が時にはぽろりと落ちることがあった。
改めて年毎に老いていく母を寂しく感ずるようになった。
数年前の母の日の事である。九十歳になった母が「あんたの好きな巻寿司がなあ、もう巻けん
ようになってしもうたんや。力がのうなって巻けんのよ。お米がぽろぽろとこぼれてしもうてな!」
と寂しそうに言った。
私は胸が一杯になった。
「もう、いいんだよ。十分堪能させてもらったよ。有り難う」と言いたかった。
併し、何も言えなかった。
母が亡くなって三年、おりに触れ、母の手巻き寿司の絶妙な味が懐かしく思い出されてならない。
文化放送(平成17年10月21日放送)
川田 恵理子 様
祖母にどうしても参加して欲しく、私は結婚式を、故郷沖縄でやることに決めた。しかし、肝心の
祖母に参加を求めると、九十九歳まで田舎で生きてきた祖母は、
「都会から来る方々の中に、田舎者で年寄りの私が入ると、エリちゃん、あんたに恥をかかせる
だけだよ!」
と言い、首をなかなか縦に振ってくれなかった。祖母から、「参加する」との返事をもらったの
は、二ヶ月も後のことだった。
ばあちゃん、強情な私の願いを叶えてくれてありがとう。そして、プログラムの中に、内緒でおば
あちゃんへのメッセージと花束贈呈を入れてごめんね。でも、私の晴れの日に、皆の前でばあ
ちゃんを自慢したかったんだ。戦争未亡人となり、焼け野原から始まった沖縄で、当時まだ一歳
の母を含め六人のおじさん、おばさんを女手一つで育てあげたばあちゃん。私は、そんな立派な
あなたの“孫”として、沖縄から旅立ちたかったのです。
今でもね、参加してくれた人々に会うと、皆必ず「おばあさん元気?」って聞くんだよ。私のドレ
スの色なんぞ、すっかり忘れてしまっている皆さんなのに。「みっともない」どころか、あの日ば
あちゃんは、花嫁の私よりも、ずーっと人気者でした。参加してくれて本当にありがとう。
文化放送(平成17年10月7日放送)